知楽で歩く


重田池畔を歩く

 久しぶりに奥坂地区最大の池・重田池(じゅうだいけ)の周囲を歩いてみました。十年ほど前にも歩いています。
今回は、明法寺池(妙法寺跡)の確認もありましたが収穫はありませんでした。

                                        2017年3月7日


❶岩屋休憩所(駐車場) 10:20頃
❷せせらぎ十字路 10:50頃
❸重田池 11:00頃(約20分ほど昼食を食べました。)
❹たむしばの森 12:20頃
❺明法寺池付近の鉄塔 12:30頃
❷せせらぎの十字路 12:50頃
❻岩屋の大桜 13:10頃
❶岩屋休憩所 13:20頃

 約3時間のコースです。健脚の方はもっと早く巡ることができるでしょう。
全体的に上り坂は緩やかですが帰り(⑥から⑦)の登りは途中休憩を数回とりました。

(注)この地図は、総社市環境水道部環境課環境係が発行した「総社ふるさと自然のみち(自然散策マップ)」の一部です。


❶岩屋休憩所(駐車場)

岩屋休憩所(駐車場)から岩屋の部落を見ています。今日は誰もいません。

右手に岩屋の集落を見ながら進んでいます。


❷せせらぎ十字路

真っ直ぐ行くと重田池でその重田池から流れ出る血吸川は右手にあります。(重田池周遊してここに戻ります。)


❸重田池

 池の水面の色合いがお伝えできないのが残念です。あまりにも綺麗な水なのでプランクトンも魚もいないそうです。

堤防も雑木の伐採や草刈りと管理が行き届いています。地元(奥坂)の人々の尽力によります。

「昭和十年四月三十日 阿曽村大字奥坂重田池」の記銘があります。

 

重田池について

 

服部真吾氏の記録によると、「

 地区最大のため池で昭和十年に古い堤防に大掛かりな置上げ工事をする。

大勢の女の人達が堤防を固める千本搗きを歌に合わせて搗きながら、

一方若い男の人達は右奥の山土を掘り、これを敷設されたトロッコに積み

堤防迄運搬する。その土を均一にならしながら一段一段と高くして積み上げて行く。

堤防造りは昔から千本搗工法であったが最近ではローラにより固めて行く工法である。

奥坂では最後の千本搗であろう。貯水量116㎥、経過年数300年

 

私も母親に連れられて工事の見学に行った記憶がある。6歳の頃である。

 

最近では此の周辺には北の吉備路と呼ばれる秘境の地で平成十五年度に

県市事業に依る「ふるさと遊歩道」等整備され鬼ノ城と併せての観光施設が

整えられている。

」とあります。

 


❹たむしばの森

たむしばの森です。季節が違うので全く開花していません。

木の芽は春の気配で盛んに生育している色合いになっています。


❺明法寺池付近の鉄塔

今日の主な目的は、この鉄塔から下ったところにある明法寺池の状況確認にありました。

結果は雑木林で池は見ることができませんでした。この鉄塔周辺は少しひらけたところで岩もゴロゴロしていました。

 

この鉄塔のある場所は、岩屋とは山塊が異なり、足守側から、強いて言えば、六道古道の奥地に当たります。

さらにいえば、麓には三代実録掲載の「宮原神」があり、六道古道を通って、後原、水呑池、明法寺池経由でこの鉄塔の位置に出ます。

地元の人によるとこの付近では瓦がたくさん出土しているそうです。

(航空写真の現在地は、訪問時に明法寺池を探していた時にGoogleMapで確認した現在地です。)

 

 寺社天保録の奥坂村の項に「

  岩屋山の妙法寺うねといふ所に井明神の舊趾あり

  礎もなかれど土中に土器あまたあるをミれハ社の跡なる

  事著(いちじる)し

」とあることが気になっていた。

 井明神舊趾が岩屋山の「妙法寺うね」というところにあった。これは現在の鉄塔と明法寺池のあたりではないか。

 そうすれば、この井明神が岩屋山の奥宮宮原神は里宮になるのではないか。

 岩屋での山岳仏教が栄えたのは十世紀から十三世紀(遅くても宥心が岩屋山縁起を遺した十五世紀ころまで)で、

 それ以前は、この井明神が信仰の主体ではなかったかと想像を逞しくします。


❷せせらぎの十字路

せせらぎ十字路に戻ってきました。案内板は往路でも確認しています。


❻岩屋の大桜

岩屋の大桜は全く咲いていません。4月になればたいそうきれいになります。手前にある山桜は既に開花しています。


❶岩屋休憩所(駐車場)

復路で岩屋の集落から岩屋休憩所を遠望しました。山桜がここでも咲いています。