知楽で歩く


六道古道を歩く

 10年ほど前に、様子見に行きましたが、雑木があり歩くことはできませんでした。
 3年ほど前から「吉備路の山全山縦走大会」のコースの一部になっていることから、今回歩いてみることにしました。
 「
岩屋物語」のなかの「岩屋の峯入」という江戸中期の古文書(くずし字)があり、足守の住人数名で岩屋・新山・鬼ノ城・阿弥陀原を歩いた紀行文があります。
 そこには、足守から岩屋、新山、鬼ノ城、阿弥陀が原までの道順で当時の様子が綴られています。


 「既に町端を離て爪先あがりの山路にかかる祇園の小祠醫王善誓の麁堂(そどう)あり」と書かれているところから、六道、栗め木坂(くりめきさか)、ひいこ岩、白坂などを通りいはや山観音院、巌窟(鬼の差し上岩か)、そして、八畳岩、新山、菩提坊、さらに、鬼ノ城山(石垣の崩れた城とあり、第二展望台付近のことか)から阿弥陀原に至るまで、現在も遺る名称で記載されています。


 今回は、逆の一部のコースになりますが、阿弥陀が原から後原、百田乢(峠)から六道古道(仮称)の六道峠、分かりやすい鉄塔を通って、足守の太光寺付近までを歩いたものです。
 「祇園の小祠醫王善誓の麁堂(そどう)」について何か名残がないか探しています。今回も何もわかりませんでした。


①奥坂休憩所(駐車場) 9:52頃
②茂津池分岐 10:08頃
③百田乢 10:22頃
④六道峠 10:35頃
⑤鉄塔 10:52頃
⑥足守へ 11:02頃

 約1時間のコースです。健脚の方はもっと早く巡ることができるでしょう。
全体的には、判りやすく楽なコースになっています。ただし、枯れ葉が多く、鉄塔からは下りが続くため、枯れ葉で足が滑りやすくなっていました。だだし、鉄塔からの下りは、鉄塔建築のため?が幅広く整備されていた様子が覗われます。

(注)この地図は、吉備路の山全山縦走大会で発行(無断使用)されていました。一部進入禁止の場所もあるため発禁になっています。


①奥坂休憩所(駐車場) 9:52頃
 奥坂休憩所から見た鬼ノ城山です。

電柱が六道古道方面になります。(左方向の坂道を行くと、岩屋道・阿弥陀原登山道口になります。)

電柱の隣の小さな小屋は、今は使われていませんが、岩屋への中継地で岩屋の人々が利用する自転車や新聞入れが置かれていたそうです。


②茂津池分岐 10:08頃
 左手が茂津池です。浚渫のため水抜きをしているようです。右手の道の先が後原になります。

六道古道へは電柱を右に進みます。

左は後原から水呑池へ向かいます。(歩ける道ではないかもしれません。)


③百田乢 10:22頃
 沢の土堤を切り崩したようです。通りやすくするため、削ったのかもしれません。
 この先が十字路で足守へは右に回っていきます。
 正面は大井の百田へ、左は、水呑池方面のようです。

百田乢を右に回り込み振り返って見ました。写真では分かりにくいのですが左側の膨らみが土堤のように見えます。


④六道峠 10:35頃
 六道の石標識のようです。

 右の石には、「右 あしもり」とあり、左の石には「施主 石尾**」とあります。

反対側から見ると、「右 いわや(右) にいやま「左)」と読み取れます。


⑤鉄塔 10:52頃

途中、八十八ヶ所の一つと思われる弘法大師と観音さまの石仏がありました。

この一つだけだったのですが、以前は八十八ヶ所揃っていたのかもしれません。

 

 中央は鬼ノ城ゴルフ倶楽部が少し見えています。
 左に小さく見える鉄塔は、奥坂休憩場付近のかむら山にある鉄塔につながっています。

西に目をやると、遠方正面の中央に鬼ノ城山第2展望台があります。

水平でないことが気になりました。

反対の東は足守になります。


⑥足守へ 11:02頃
 ようやく、足守の平地にたどり着きました。

 反射板のあるところの右の細い道から下りてきました。
 大光寺は、前方の先にあります。


 このコースの難点は、出発点に戻るには、大きく南を迂回するか、同じ道を引き返すことになります。
 私の場合は、足守小学校まで迎えに来てもらって、車を駐車した奥坂休憩所まで送ってもらいました。

2017年12月13日:起稿