岩屋物語随想


岩屋物語(妙法寺(明法寺池))随想

 2014年2月5日 用水用の明法寺池の管理で堤防の木の伐採に参加しました。
 まだ実際に見ていない池を見る貴重な機会でした。

 この時は、まだ「明法寺」という寺の意味はわかっていませんでした。

山の尾根近くにある小さめな池なのですが景色は素晴らしいものです。
(遠景中央左の送電線鉄塔にご注意ください。)

右手が堤で一部ですが松が写っています。このような松が堤全体に生えていました。
この堤上の部分と法面の雑木の伐採をしました。

これで伐採は終了です。お疲れ様でした。


「明法寺池」随想 (2014年2月7日)

「明法寺池」随想 (2014年2月7日)
『備中誌』「井ノ明神舊跡」の項によると、「・・・今岩屋山の内に妙法寺と云山ノ岡有其ノ地に伊怒明神の舊跡有礎の跡は無けれ共土中土器の類数多いづ又別に妙神田と呼る田今十歩計り遺れり其村の巫女此田の稲を御饌に焚て七十五苞に盛り其舊跡の地に備へて祭之祭禮巫女の家にて今は祭るとなん・・・・」とある。
 岩屋山に妙法寺という山の岡があり、それが井明神の旧跡である。礎はないが土器が多く出るて十歩ばかりの妙神田という田が遺っている。巫女がこの田の稲から御饌(くご)をつくり七十五の苞(わらなどを束ねて、その中に食品を包んだもの)をその旧跡に供えて祀っている。今は巫女の家で祭っている。
 現在の明法寺池は、この「妙法寺」に由来するのではないか、さらに「妙神田」が現在の池の一部になっているのではないかと想像を逞しくするのである。さらに、「七十五苞」は、備中吉備津宮の特殊神事の一つの「七十五膳据」の七十五に共通し、備中吉備津宮との関わりが暗示され非常に興味深い。

『備中誌』「岩屋山東塔十七坊舊跡之圖 今畑トナリテ名ヲ存ス 東坊、成福坊、願成坊、妙法坊、此四坊圖中ニ脱ス實地ヲ探ルベシ」から、推定すると、妙法坊は「妙法寺」で妙法寺の池、すなわち、現在の明法寺池となったのかもしれない。
 さらに、「願成坊」は、同『備中誌』「願成寺舊跡」の項に、「中坊舊地に大門畠の少し上に有事一千二百十八年にして文化年中[1804-1818]今の地に移す」とある。
 「今の地」とは、慶覚(小字名で、阿宗神社近く)で、「願成坊」は『寺社天保録[1830-1844]』にいう「慶覚山願成寺」のことかもしれない。今現在はない。

 

(補足)「七十五膳」に関する神事は、現在は吉備津神社で「特殊神事」として伝えられていますが、この神事は各地で以前は行われていたようで、特に岩屋神との関連付けはできそうもないことが判りました。2019年8月18日。


位置関係の確認


参考図
 Googleマップの航空写真にコメントを入れました。
(最初の写真に写っている遠景山の左手の送電線鉄塔の位置がわかります。)

『備中誌』から引用した「岩屋山東塔十七坊舊跡之圖」です。

この絵図には、妙法寺はありません。多聞天堂が今の毘沙門堂、観音院が岩屋寺になります。