史料集


吉備津の能(岡山民俗叢書8)

吉備津の能(岡山民族叢書8)

 

 「温羅伝説」として、ネットで検索すると、その一番にヒットするのが、温羅 - Wikipedia

『温羅(うら/おんら)は、岡山県南部の吉備地方に伝わる古代の鬼。 本項では温羅の解説とともに、温羅と吉備津彦命に関する「温羅伝説」についても解説する。 』である。

 

 そして、この物語は桃太郎伝説にも拡大解釈されていく。

 この物語は藤井駿氏が『吉備津神社』で述べているように、「「吉備津彦の鬼退治」の神話として、人口に膾炙していること、それは、吉備津宮の縁起に記され、異説も数種類あるが、諸異本を綜合してその神話の大要を紹介しよう」から始まる『人皇十一代垂仁天皇・・・・・』の一文である。これを基にした多くの「温羅伝説論」が流布しているものと思われる。

 

 インターネットが発達して情報の取得は遥かに容易になっているが、一世代前はどうしていたのだろうか。この温羅伝説なるものがいかにして伝承されてきたのかを推察するに、文書の「縁起」だけで庶民の伝承になりうるのだろうかと考えてきた。そこで、もう一つの伝承の手段として、庶民にとって最も卑近な「祭り」、それには「神楽」がつきものとなる。吉備には、備中神楽がある。

 山根堅一著『備中神楽』によると、「西日本一帯に行われている、出雲系の岩戸神楽に属するものとされ、鬼退治や大蛇退治を演じるのが備中神楽と思われている。」「これを創案(神話劇三編の「神代神楽」)したのが成羽の神職西林国橋である」とあり、更に同書の 4 吉備津 の項には、吉備津(吉備津の舞)は荒神神楽で演じられるが「神代神楽発生以前からあったものといわれるが鬼退治や大蛇退治と似ている点が多く、いろいろと脚色されて、今のようなものになったと考えられる。」とあり、荒神神楽でも時間が長くなるので、あまりやらなくなったようだ。総社市の阿宗神社での神楽も神代神楽で、「吉備津の舞」は演じられていない。残念なことである。

 

 ここでは、原型と思われる「吉備津の能」を以下の文献によって紹介するものです。

 

備中神楽 吉備津の能

岡山民俗叢書. 第8篇 国立国会図書館デジタルコレクション

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464055

『備中神楽の研究』山木機翆 昭和9年 「初期の神楽」の項を抜粋した。

 

原本から解読して活字化して読みやすくしています。

次項は、参考のため原書を添付しています。

 

 平成24(2016)年8月25日、サンロード吉備路で行われた総社観光大学の公開講座の一部で、影社(総社市)の「吉備津」の公演がありました。

 影社(総社市)の「吉備津」を許可を得て撮影した写真と本「吉備津の能」を組み合わせて「吉備津の能(総社観光大学公演)」として掲載しています。



備中神楽 吉備津の能

岡山民俗叢書. 第8篇 国立国会図書館デジタルコレクション

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464055

『備中神楽の研究』山木機翆 昭和9年 「初期の神楽」の項を抜粋した。