久しぶりに通称「岩屋道」を歩いてきました。
今回の歩きは、岩屋道全工程の約半分です。岩屋部落入口から再開予定です。
①奥坂休憩所 9:30頃
②阿弥陀原登山道口 9:45頃
③鳴谷橋と堰堤 9:55頃
④菩提坂 10:30頃(地図の位置は正確ではありません。)
⑤岩屋部落入口 10:45頃
⑥血吸川と支流合流と堰堤 10:55頃
⑦北門跡登り口 11:05頃
⑧北門跡 11:20頃
⑨温羅記念石碑 11:55頃
⑩第2展望台(屏風折れの石垣) 12:00頃(弁当15分ほど)
⑪東門跡 12:25頃
⑫阿弥陀原登山道(下り) 12:20頃
⑬登山道入口 12:50頃
①奥坂休憩所 13:00頃
途中何度も休み休みでした。健脚の方はもっと時間は少なくてすむでしょう。
①奥坂休憩所 9:30頃
②阿弥陀原登山道口 9:45頃
③鳴谷橋と堰堤 9:55頃
⑬登山道入口 12:50頃
①奥坂休憩所 13:00頃
④菩提坂 10:30頃
(地図の位置は正確ではありません。)
⑤岩屋部落入口 10:45頃
⑥血吸川と支流合流と堰堤10:55頃
⑦北門跡登り口 11:05頃
⑧北門跡 11:20頃
⑨温羅記念石碑 11:55頃
⑩第2展望台(屏風折れの石垣) 12:00頃
(弁当15分ほど)
⑪東門跡 12:25頃
⑫阿弥陀原登山道(下り)12:20頃
①奥坂休憩所
奥坂休憩所です。看板の上方に南門、東門、第2展望台(屏風折れの石垣)が見えています。案内通り左に進んでいきます。
②阿弥陀原登山道口
阿弥陀原登山道入口です。左手に行けば阿弥陀原登山道です。岩屋道はまっすぐ行きます。
弘法大師と地蔵菩薩に見守っていただけます。
③鳴谷橋と堰堤
鳴谷橋でしょうか。血吸川と岩屋道が唯一交差している場所です。
この下には貴重な堰堤(石を積んだなだらかなもの)があります。
丁寧に造られています。非常に貴重なものと思います。
鳴谷とはこの付近一帯の小字名です。岩屋道はこの血吸川と少し先で別れます。
④菩提坂
菩提坂と思われるところです。地元の人は「菩提」と呼んでいます。
岩屋山縁起に僧が禪通大師を出迎えたと記されています。今は地蔵さんがいます。
国土地理院の地図にはこの付近に卍印があり、寺があった事を示していますが、その気配はありません。
明治にはあった寺と推察しています。
⑤岩屋部落入口
目の前が少し広がってきました。
左に行けば鬼ノ城ビジターセンタがあります。
まっすぐに行けば岩屋方面です。車だと数分です。
今日は、ここで岩屋道を外れます。左手の鬼ノ城方面へ向かいます。
⑥血吸川と支流合流と堰堤
手前が鬼ノ城からの支流で、左から岩屋から流れ出している血吸川です。
右手に堰堤があります。堰堤下から堰堤を見上げた場所から撮影しました。
少し崩れていますが、石積みが見事です。
⑦北門跡登り口
北の吉備路学習見本園を過ぎて、ようやく鬼ノ城北門への案内が出てきました。少し急な坂道になります。
⑧北門跡
北門跡です。ここから北を見ると山頂に数基の鉄塔があります。
真中の鉄塔は岩屋の鬼の差し上げ岩から少し登ったところにあります。
かすかに松の枝の下辺りに岩屋寺観音院が見えています。
⑨温羅記念石碑
温羅の記念碑です。昭和12年に建立されています。当時はこの屏風折れの石垣が主要な遺跡だったのでしょう。
現在知られる古代山城の鬼ノ城の全容については、昭和46年に発見され、その後、発掘が進められてきました。
⑩第2展望台(屏風折れの石垣)
第2展望台(屏風折れの石垣)から見た奥坂(中筋・千引)風景です。
池は新池でその右の中心水平の部落が池の下です。
鬼ノ城の水城と推定している人もいます。
新池の左手手前の山頂に随庵古墳があります。
新池の右側の小字名は御門(みかど)といいます。
⑪東門跡
東門跡の手前に阿弥陀原登山道の下り道があります。左手に折れます。
⑫阿弥陀原登山道(下り)
登山道も水で侵食されて歩きにくくなっています。
大きな岩もあり、道がわかり難くなっています。右手寄りに進んでください。
⑬登山道入口
整備された道を下ると阿弥陀原登山道入口に到着しました。
上りは1時間ほどかかりますが下りは20分ほどで下りられました。
①奥坂休憩所
久しぶりの運動ですっかり息があがりました。
血吸川のせせらぎを聞きながら、小鳥のさえずり、木々の芽吹きを感じながら英気が養えました。
明日は、たぶん足が痛いでしょう。
2016年2月4日起稿