まとめ
1.奥の正面に觀音の尊容を彫り付けている。
2.西の方奥の石壁に梵字十三字、一文字毎に蓮台を彫り字を載せている。文明11天(1479)周歡とある。
3.西側の大石に右方に毘沙門、左方に達磨、中尊に獅子に乗った佛文殊か(被物をして笏を指した姿)。
4.穴の口両脇厨子に東に千手観音、西に馬頭観音。
5.境内に阿弥陀供養石 一基 貞享元(1684)年甲子三月日。
考察
1.現在の正面石(鏡石)には観音ではなく弁財天十五童子である。
2.「文明11天(1479)周歡」をどう捉えるか。岡村氏の見解は、「自分の名を中央に彫することはない。周歡の命日」。
3.岡村氏の見解では、達磨ではなく維摩居士である。毘沙門天が刻されている意味合いは不明(西尾)。
4.馬頭観音は盗まれた(?頃)ため、現在は代替されている。
5.阿弥陀供養石には、服部真吾氏によると「明治二十年十月」の紀年とあるが、判別は難しい。新たに造られたようだ。
6.寺社天保録に記録されたのは「天保7年(1836)」であることがわかる。